都市部の外構色彩の現状 ‐①はじめに‐

丸の内仲通り

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はじめに

東京では景観条例や東京都景観計画が制定され、壁面の色彩に条件が定められました。壁面の色相、明度、彩度の制限を定め、1990年以前に主流であった彩度が高く、明度が低いような地球色の壁面をより規制するものになったと考えます。

上の図は、東京都景観計画の壁面色彩規制を表す図です。色の付いた部分は、川沿いや海、特別に保護するべき景観地域であり、より厳しい色彩規制がかかってきています。その他の白の部分でも東京都市景観を保全していけるように色彩規制がなされています。このように東京では、東京都全ての地域で壁面色彩の規制がかかる範囲となっています。

目的

街の景観を作り出しているのは壁面以外にも多くの要素があり、壁面の色彩に基準を設けるだけで良いのか、景観において影響を与えるものは平面にもあるのではないかと考えます。

東京都には、平面の色彩規制がなされていません。私たちが町並みを歩いていて景色を見たとき、建物の壁面だけではなく、平面である床にも目が行くのは日常的で、それも景観の一部となっていると考えます。

なぜ壁面の色彩規制はされ、平面である床材の色彩規制はされないのかということに疑問を覚えたのが都市部の外構色彩について調べるきっかけとなりました。

景観における色彩の変遷

色彩の変遷

[1950年代]

戦災で焦土とかした都市の復興の時代。機能回復の骨格で道路や鉄道などの整備が進んみました。住宅でも安全で衛生的であることが優先されました。

[1960年代]

高度成長にともなって、各種郊外で公団によるニュータウンの建設、私鉄沿線での商業地と住宅地の開発が盛んになりました。都市の中心商店街も競ってアーケードを取り入れ、お祭りなどのイベントも工夫された。この当時はカラー店舗や派手なネオンサインなどがもてはやされました。道路整備が進み、高速道路も拡張されて、トラックによる輸送も本格化しました。橋梁は大量輸送に対応すべく大規模なものが求められ、色彩も派手でパワーがあるものが喜ばれました。

[1970年代]

当時鉄道が行った「ディスカバージャパン」というキャンペーンが話題になりました。若者がリュックを背負って北海道を歩き回るなど動きが盛んになるのと時期を同じくして、日本の風土の美しさと、変化し失われつつある風土の認識の必要性が語られ始めました。どの産業分野でも量から質への転換が目標として掲げられ、景観に対しても自然景観を重視した色彩景観が取り入られ始めました。実態としては、都市郊外には工業団地がつくられ大型小売業も出店を始めるなど大きな変化がありました。

[1980年代]

景観の保全意識が高まり、自然景観を重視した計画方法が模索され、土木の色彩は一変した。そして都市化の波も大きくなりました。大手ハウスメーカーが地方の風景を変えていきました。それまで地元の工務店が建てられていた個人住宅が全国レベルのメーカーの住宅へ変わっていきます。新しい生活スタイルに相応しい設備や間取りを取り入れた提案が歓迎されました。デザインが生活の質に関わるというこの風潮にとっても重要と考えた自治体が、色彩ガイドラインの策定などに取り組み始めます。景観に配慮した住宅外観デザインをテーマにしたニュータウンが好調に売れた時期もあります。高速道路網、新幹線の整備も進み、各地で東京に似たような都市景観の出現がみられ、ミニ東京化として話題になりました。90年代前半まで80年代に行われた質向上を目指したデザイン実践の流れが継続しました。

[1990年代]

景観ということばが一般に認知され、上質なデザインが求められる一方で、長引く不況とともに看板で人目を引く競争時代に入ってしまったとみられます。重点的に進められた再開発で大型化した地区と従来のまちとでは規模の差異のみならずデザインの格差が広がり始めました。

[2000年以降]

景観への関心はこれまで以上に高まり、様々な視点から語られるようになります。地方の時代として、それぞれの地域にとって景観は重要な資源であるという考え方は理解されて、取り入れられていく流れは着実なものとなってきました。前例を参考にして、開発や整備の方法や結果などを客観的に評価しながら、今後の計画に役立てるように整理していくことが求められます。

 

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